かつて喫茶店等で盛んに行われていた学生同士の議論を復活させ、「百万遍談議」として継続的に実施していきます。
授業ではありませんので、なにかこうしなければいけないという義務はなく、単に興味があるから参加して、人の話をきき、自分の考えを述べる。それだけです。
毎回のテーマに関して、あらかじめ知識が必要となるわけではありません。
唯一お願いするのは、毎回提示される「書物」あるいは「短文」を読んでくること。
また、「議論」はしますが、なにか結論を導こうとして話をするわけではありません。テキストを読んで思ったことを自由に話してもらえばいいわけで、もちろんその場で誰かの発言をきいて思いついたことを話しても結構です。
「人はこんなことを考えているんだ」ということを知るだけでも楽しいですし、さらには、自分の考えを人にきいてもらうことの楽しさも、大学生に与えられたある種の特権です。
気軽な気持ちで参加してください。
いろいろな人と人、人と言葉あるいは考えの出会いが生まれることを楽しみにしています。
今回は「記憶の消去」というテーマについて、ともに考えてみたいと思います。
テキストは、下記の申込フォームに記載のリンクからダウンロードして読んでください。
「記憶の消去」 宇佐美 文理 文学研究科 教授
2025年2月15日(土) 15:30~17:00
文学部陳列館 2階宇佐美教員室(吉田キャンパス 本部・西部構内マップ【23】)
京都大学学部学生(正規生)10名 先着順 / 定員に達し次第、受付終了
日本語
無料
※要事前申し込み
※当日参加不可
今回は、3月末で宇佐美 文理 教授が定年を迎えることから、最後の機会として、文学部陳列館にある教授の研究室にて実施しました。
「記憶の消去」と題されたテキストの物語では、そもそも「戦争」という概念自体が存在しないW星に、R星のエージェントから戦争映画が持ち込まれたという設定で、その混乱に乗じて「とある国と国との戦争を終わらせた技術」が売り込まれようとしているのを阻止するため、映画を観た人々に対して鑑賞後の記憶をすべて消去するという措置が取られたことが示されます。
ラストの場面では、登場人物の一人である、W星からきたエージェント・カーターの恋人もその対象者の一人であり、カーター自身も、恋人が映画を観た同じ日付以降の記憶をのちに消去してしまったという事実が明かされるのですが、それを受けて、冒頭に参加者の一人から「戦争の始まりには理由があるため、一度記憶を消されると(戦争の記憶は)戻らない」が、「恋愛には理由がないため、たとえ記憶を消されたとしても本能的に(その感情が)戻ってくるのでは」という意見が出されました。
そのうち「恋愛には理由がない」という点に関して、「ある人に恋愛感情を抱くのは、魅力を備えた人のその内側に原因があるのではなく、自分自身と相手との関係を見ているのでは」「好きな理由はたぶん存在しているが、言葉にすると(自分の感情や相手のイメージが)固定化されるのが嫌だ」「好きという感情の理由を問うことは、宗教においてなぜその神を信仰するのかを問うことの無粋さに通じる」といったさまざまなコメントが寄せられ、盛り上がりを見せました。
今回のテーマである「記憶の消去」については、たとえば「とある国と国との戦争を終わらせた技術」を原爆と仮定した場合、「(人間の脳内の)記憶は消せても、(細胞や地層、化石レベルでは)記録は残る」ため、争いはいつか復活して消えることはないのでは、といった疑問が投げかけられる場面も。終盤にかけては、さらに議論の抽象度が高まり、物と人のそれぞれの存在の仕方における違いや、物事と出来事の知覚をめぐる違いなどについて意見が交わされました。
(記録:水野)
京都大学総合研究推進本部 百万遍談義担当
内線:16-5177
E-Mail : jinsha*kura.kyoto-u.ac.jp(*を@に変更してください)
※できるだけメールでお問い合わせください。