かつて喫茶店等で盛んに行われていた学生同士の議論を復活させ、「百万遍談議」として継続的に実施していきます。
授業ではありませんので、なにかこうしなければいけないという義務はなく、単に興味があるから参加して、人の話をきき、自分の考えを述べる。それだけです。
毎回のテーマに関して、あらかじめ知識が必要となるわけではありません。
唯一お願いするのは、毎回提示される「書物」あるいは「短文」を読んでくること。
また、「議論」はしますが、なにか結論を導こうとして話をするわけではありません。テキストを読んで思ったことを自由に話してもらえばいいわけで、もちろんその場で誰かの発言をきいて思いついたことを話しても結構です。
「人はこんなことを考えているんだ」ということを知るだけでも楽しいですし、さらには、自分の考えを人にきいてもらうことの楽しさも、大学生に与えられたある種の特権です。
気軽な気持ちで参加してください。
いろいろな人と人、人と言葉あるいは考えの出会いが生まれることを楽しみにしています。
今回は「怒りと憎しみ」というテーマについて、ともに考えてみたいと思います。
テキストは、下記の申込フォームに記載のリンクからダウンロードして読んでください。
「怒りと憎しみ」 宇佐美 文理 文学研究科 教授
2024年11月24日(日) 15:00~17:00
清風荘(京都市左京区田中関田町2-1)
※重要文化財/30分の見学ツアー付
京都大学学部学生(正規生)10名 先着順 / 定員に達し次第、受付終了
日本語
無料
※要事前申し込み
※当日参加不可
今回は紅葉を楽しむ目的もあり、会場は特別に清風荘にて、話題提供者には久しぶりに宇佐美文理 教授を迎え、「怒りと憎しみ」をテーマに談議を実施しました。
使用テキストで展開される物語は「怒りを消すカプセル」が架空の国家Q国で開発されたところから始まりますが、しかし調査の結果、「怒りの神経システム」は人間にとって必要なものだとの認識から、服用量が一定数で制限され、最終的には「怒り」ではなく「憎しみ」を消すことが開発の最終目的だったことが判明します。
物語の内容を受けて、参加者のみなさんのあいだでは、まずは怒りと憎しみの違いに話題が集中し、「怒り=突発的で、行動に向けられるもの」「憎しみ=持続的で、存在そのものに向けられるもの」という認識が示されました。
そのうえで、話題は日常生活においてみながどう怒りに対処しているか、という方向に。具体的には、怒っている相手の思考回路を分析する、その場から離れる、といった対処法のほか、なかには「怒りは悪いものだけではなく、相手への期待が込められている場合もあるし、それが芸術作品へと昇華される場合もある」といった意見も見られました。
途中、話題提供者の宇佐美教授からは、個人レベルでの話だけでなく国家や民族の怒りや憎しみについてはどう考えるか、という問題提起がなされました。参加者のみなさんは頭を抱えながらも、それを受けて「集団間の場合には憎しみは(人為的・政治的に)つくり出されている感がある」「集団で共有している物語――他集団への憎しみも含む――が民族や国家の特徴を決定づけているような気がする」という意見が出され、宇佐美教授からはそうした「物語」の存在が紛争解決などのヒントになるかもしれない、といったコメントがありました。
また、もう少し身近なところで、現代社会に生きる一個人としての議論では「社会保障制度の問題などについては理不尽さを感じるものの、現状を変えられるとは思えない」「SNSでは自己責任論が影響力を持っているので、他に責任を求めることをしない傾向がある」「学生運動の時代には、自分が動けば社会は変わると思えたかもしれないが、今は自分が動けばそれだけで二酸化炭素を排出して環境を汚してしまうなど、根底の部分でニヒリズムが蔓延している」といった声がありました。
終盤には、愛と憎しみの関係についても話題が及び、「両者は存在そのものに向けられる感情という点では同じ」「like→love/怒り→憎しみ」という変化のあり方も類似している、といった意見が見られました。
(記録:水野)
京都大学学術研究展開センター 百万遍談議担当
内線:16-5177
E-Mail : jinsha*kura.kyoto-u.ac.jp(*を@に変更してください)
※できるだけメールでお問い合わせください。