かつて喫茶店等で盛んに行われていた学生同士の議論を復活させ、「百万遍談議」として継続的に実施していきます。
授業ではありませんので、なにかこうしなければいけないという義務はなく、単に興味があるから参加して、人の話をきき、自分の考えを述べる。それだけです。
毎回のテーマに関して、あらかじめ知識が必要となるわけではありません。
唯一お願いするのは、毎回提示される「書物」あるいは「短文」を読んでくること。
また、「議論」はしますが、なにか結論を導こうとして話をするわけではありません。テキストを読んで思ったことを自由に話してもらえばいいわけで、もちろんその場で誰かの発言をきいて思いついたことを話しても結構です。
「人はこんなことを考えているんだ」ということを知るだけでも楽しいですし、さらには、自分の考えを人にきいてもらうことの楽しさも、大学生に与えられたある種の特権です。
気軽な気持ちで参加してください。
いろいろな人と人、人と言葉あるいは考えの出会いが生まれることを楽しみにしています。
今回は「偶然と自由」というテーマについて、ともに考えてみたいと思います。
テキストは、下記の申込フォームに記載のリンクからダウンロードして読んでください。
「偶然と自由」 岡本 考生(文学部3回生)
宇佐美 文理 文学研究科 教授
2024年5月18日(土) 15:30~17:00
附属図書館3階共同研究室5
京都大学学部学生(正規生)先着10名
日本語
無料
こちらからお申し込みください。 (受付は終了しました)
今回は、初の試みとして、文学部3回生の岡本 考生さんに「偶然と自由」をテーマにテキストを執筆してもらい、話題提供をお願いしました。世話人は宇佐美 文理 教授です。
使用テキストに綴られた物語では、盲目である架空の国家「Y国」の大使が、自国からやってきた新種の毒ガエル――肌に触れればひとたまりもなく死に至る――と犬がじゃれあっている様子に気がつき、見殺しにはできないとして必死に犬を助けようとしたものの、犬は逃げ去り、遠くから飛んできた野球のホームランボールに当たったのでは、というところで幕を閉じます。
談議の冒頭では、「なぜ犬は死んだのか」「もし犬が5歳児だったら」という話題提供者の問いかけにより、行為者の意志と事象の因果関係について意見が交わされ、「大使に犬を見殺しにする意志がなくとも、責任はあるのでは」「大使が罪に問われないとしたら、それは誰の視点によるものなのか」といったことをめぐって議論が展開されました。
続けて、傍観者の罪はどこまで問われるのかが話の焦点に。「瀕死の人を前にしてもAEDを使おうとしない」「急性アルコール中毒の人を放置して救急車を呼ばない」など、具体的な事例をもとに考えながら、参加者の一人が授業で学んだという法学の視点も取り入れつつ、みなで納得のいく答えを見つけ出そうと考えます。
他方で、大使の意志とのつながりが曖昧で一見偶然に思える、ホームランボールが犬に直撃したであろう原因については、古くは神(運命)に、現代では重力に、と時代によって因果関係の捉え方が変わってくるし、この先科学技術が発達したら、さらに責任追及のあり方も変化していくのでは――気象予報の世界では、すでにそうなっている――との指摘も飛び出しました。
終盤には、走り出す犬(もしくは5歳児)を止めるべきかどうか、という点について、余計なおせっかいとパターナリズムの関係が議論になりました。「子どものしつけは大人の責任なのか」「誰を教育の対象とみなすのか」といった事柄をめぐっては、個人によって価値観には違いがあり、悩ましいという声も出たところで時間切れとなりました。
(記録:水野)
https://www.kura.kyoto-u.ac.jp/act/20240622/
京都大学学術研究展開センター 百万遍談議担当
内線:16-5177
E-Mail : jinsha*kura.kyoto-u.ac.jp(*を@に変更してください)
※できるだけメールでお問い合わせください。