かつて喫茶店等で盛んに行われていた学生同士の議論を復活させ、「百万遍談議」として継続的に実施していきます。
授業ではありませんので、なにかこうしなければいけないという義務はなく、単に興味があるから参加して、人の話をきき、自分の考えを述べる。それだけです。
毎回のテーマに関して、あらかじめ知識が必要となるわけではありません。
唯一お願いするのは、毎回提示される「書物」あるいは「短文」を読んでくること。
「人はこんなことを考えているんだ」ということを知るだけでも楽しいですし、さらには、自分の考えを人にきいてもらうことの楽しさも、大学生に与えられたある種の特権です。
気軽な気持ちで参加してください。
いろいろな人と人、人と言葉あるいは考えの出会いが生まれることを楽しみにしています。
今回は「占いと確率」というテーマについて、ともに考えてみたいと思います。
テキストは、下記の申込フォームに記載のリンクからダウンロードして読んでください。
「占いと確率」 宇佐美 文理 文学研究科 教授
2024年1月20日(土) 15:30~17:00
附属図書館3階共同研究室5
京都大学学部学生(正規生)先着10名
日本語
無料
こちらからお申し込みください。 (受付は終了しました)
サイコロの出目を占う催しをめぐる物語(使用テキスト)において、作中の登場人物の一人が「人間の意志が絡まないものに占いは不要、いや不可能なんでしょうか」と問う場面への応答から話が始まりました。
それに対し、参加者からは「サイコロを振って狙った目を出そうとすること自体、人間の意志が介在しているのではないか」「かつては雨乞いで鹿の骨などを焼き、自然界の現象を対象にした占いも存在しただろうが、神の意志への介入を目論むその占辞においてはやはり人間の解釈が働いていたのでは」といった指摘が相次ぎ、占いそのものが人を媒介としたものである以上、対象が何であれ、その行為においては人間の意志が介在しないものは存在し得ないとの趣旨で議論が進んでいきました。
そこで注目を集めたのが、使用テキストのタイトルにもなっていた「サイコロの幸せ」です。ここでのサイコロの役目には(1)意志/恣意性を排除した偶然性に基づくデバイスとしての存在と、(2)人間の期待した目を出すこと(ミラクルの創出)の2つがあると考えられるものの、「そもそも人間を喜ばせることがサイコロにとっての幸せなのか」「サイコロの価値観は人間と同じなのか」などが積極的に問われ、作中でサイコロが何のからくりもないことを証明するために最後砕かれることに対しては「死=(人間からの)解放」として解釈が進む場面も。
終盤には、サイコロの幸せからもう一歩議論を深めて、サイコロと人間の間における合意――サイコロはそれが成形される以前の素材であった段階からサイコロにさせられることに合意していたのか――へと話題が移り、そこからさらに人工中絶の話を軸とした生命倫理、親ガチャ論へと飛び火しつつ、終始盛り上がりを見せた回となりました。
今回印象深かったのは、参加者のみなさんが占いの本質を「予測+助言(期待)」であると捉え、変えられない過去に対して「将来は変えられる」と信じて生きていくためにこそ占いは必要である、と話されていた点です。どれだけ科学技術が発達しても、時代を超えて占いが存在し続ける理由がそこにあるのだと気づかされました。
(記録:水野)
京都大学学術研究展開センター 百万遍談議担当
内線:16-5177
E-Mail : jinsha*kura.kyoto-u.ac.jp(*を@に変更してください)
※できるだけメールでお問い合わせください。