かつて喫茶店等で盛んに行われていた学生同士の議論を復活させ、「百万遍談議」として継続的に実施していきます。
授業ではありませんので、なにかこうしなければいけないという義務はなく、単に興味があるから参加して、人の話をきき、自分の考えを述べる。それだけです。
毎回のテーマに関して、あらかじめ知識が必要となるわけではありません。
唯一お願いするのは、毎回提示される「書物」あるいは「短文」を読んでくること。
「人はこんなことを考えているんだ」ということを知るだけでも楽しいですし、さらには、自分の考えを人にきいてもらうことの楽しさも、大学生に与えられたある種の特権です。
気軽な気持ちで参加してください。
いろいろな人と人、人と言葉あるいは考えの出会いが生まれることを楽しみにしています。
今回読んできていただくのは、「美しい味」をテーマにした文章です 。
下記、申し込みフォームに記載のリンクからダウンロードして読んでください。
「美しい味」 宇佐美 文理 文学研究科 教授
2023年11月18日(土) 15:30~17:00
附属図書館3階共同研究室5
京都大学学部学生(正規生)先着10名
日本語
無料
こちらからお申し込みください。 (受付は終了しました)
とある架空の国家「Y国」の大使に招かれた食事会で、物語の主人公と料理人が「美しい味」をめぐって大使――その人は盲目である――と交わす意味深長なやり取りの数々。多様な読みの可能性に開かれたそのテキストにかじりつきながら、参加者たちの談議は美を感じること自体が有する主観性(=他者と共有困難な感覚)や、その際に見出される五感との関係に着目することから始まりました。
五感との関わりで言えば、「美しい」という表現は、少なくとも日本語の世界では視覚や聴覚を中心として捉え得る対象においては馴染むけれども、それ以外の、とくに味覚という点では難しいとする意見が多くみられたいっぽうで、「美しい味」を誰よりも理解しているように見える大使その人がまさに視覚に依存していないという事実を思い出すたび、参加者のみなさんの議論はふりだしへと引き戻されます。
その後、視覚や聴覚以外で捉えられ、しかも他者と共有できる「美しさ」とは何かを話し合ううちに、対象は不可視のものへと移行し、次第に数学の定理や黄金比、調和に美の本質が見出されるように。その根拠は「完璧さ」に求められ、時代とともに変わりゆく流行などの美とは異なり、不変/普遍のものとして捉えられることで、参加者の多くから賛同を得つつ議論が進んでいきました。
途中、最近エチオピアを訪れたという参加者の一人から、同国では「美しい、おいしい、きれい」といった感覚が「コンチョ」という一語で表されることや、同地にて手で食し、美しいと感じた料理「コロ」(トウモロコシのような穀物を炒った素朴なもの)が紹介され、一気に話が盛り上がる場面も。
終盤には、「美しさ」とは物そのものには内在しておらず、それを個々人が「美しい」と感じる精神のみしか存在しないため、そもそも客観的なものとして言語化し共有する必要もないのでは、といった意見も飛び出し、終始、議論があらゆる方向へと飛び火しながら拡散していった回となりました。
(記録:水野)
京都大学学術研究展開センター 百万遍談議担当
内線:16-5177
E-Mail : jinsha*kura.kyoto-u.ac.jp(*を@に変更してください)
※できるだけメールでお問い合わせください。